【町家の「お宝」】機構事務所の染付古便器

機構事務所は、おそらく明治期に建てられ平成の初めまで使われてきた町家であるため、中を整理したところ色々と貴重なものが出てきました。

今回はそうした「お宝」のうち、庭に置かれていた「染付古便器」を紹介いたします。

染付古便器は明治時代中期以降、愛知県瀬戸市の地域で生産されるようになり、特に明治24(1981)年の濃尾地震以後、東海地方を中心に普及したそうです。木製便器の形状を模した下の箱と金隠しが四角い形の角型大便器は、つくるのが難しかったので極めて数が少なく、その後下の箱が小判形で丸い金隠しの小判型大便器になり、大正末年には丸窯便器(磁器製:石膏型の型起)メーカーは40を超え本業便器(陶器製:木型やロクロで形成)メーカーも24を数えましたが、戦後は便器生産の近代化が進んで昭和37年には最後の本業便器メーカーが廃業したそうです。

明治時代後期のすべての便器に染付が施されていたのではなく、染付便器は全体の 2%未満で多くは白(磁)の便器だったそうです。生産規模が大きくない染付便器ですが、富裕層を中心に日本全国へ広まり、高級品であったようです。

便器に描かれた文様は当時の輸出用製品と同じ染付で花鳥文が描かれ、描かれている花や鳥にはそれぞれ意味があり、吉祥文様として選ばれて描かれているケースが多くみられるそうです。牡丹は中国の唐代に百花の王として人気を誇り、富貴の象徴として親しまれてきました。 よって、明治時代後期に製造された便器がこの町家で使用されていたと推測出来るので、この建物は明治時代後期にはすでにあったんですね。そして写真の角型大便器は牡丹の染付で大変貴重なものです。お宝です! 今回は愛知県陶磁器工業協同組合の方に資料を提供して頂きました。ありがとうございました。

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